2015年3月

父のくれた一日

思い

 私にとって、7年前の手術が「命を賭けた手術」であり、人生観を変える大きなものであったことは先日も話しましたが、そこに至る奇跡的な出来事について、書き記しておきたいと思います。
 みなさんの中にも、7年前の父の通夜や葬儀に参列してくださった方が少なくないことと思いますが、あの時の自分は、息をするのも苦しい状態でした。形だけであっても、葬儀の喪主だけは務めたいと無理を通したものの、二日間のすべては義兄に委ね、かすかに覚えているのは、挨拶をさせていただいたことだけです。、病院との往復の中、葬儀を終え、約束通り翌日朝一で受けた検査の結果、病名が分からないまま救急車で県立病院へ搬送されました。
 県立病院に到着し、ストレッチャーで病室に運び込まれようとしていたとき、それまでにない息苦しさを感じました。そのままエコーの検査を受けたわけですが、そのときにも見たエコー画面は忘れられません。心臓の弁がピラピラ、ピラピラと絶え絶えに動いていて、そうこうする内に弁が小さな破片のように吹き飛ばされていく画像が・・・・、弁がちぎれていく姿でした。それと同時に強烈な息苦しさが襲ってきたのは言うまでもありません。目の前が真っ暗になり、耳元で「挿管!」という単語だけが繰り返されていたのをかすかに覚えています。そのまま緊急手術に入り、10時間の手術で奇跡的に命をつなぎました。
 この時のことを振り返った時、もしも、もしも、父がもう一日生きていたら、私の命は無かったのだという現実にぶつかります。そして、私が今あるのは、父が自分の命を一日分私に分けてくれたからなのだということに気づきます。
 私が生きていることができるのは、『父のくれた一日』があったからなのです。
まさに「生かされている自分」を強く感じ、その分まで大事に生きねばと思います。
 人は皆、生かされているのです。だからこそ、大事に生きてほしいと願います。
「生かされている」・・・・私にとって人生のキーワードなのです。

本当の旅(a true travel) 平成26年度 卒業式 式辞より

思い

 さて二百二十名の皆さん、「卒業おめでとうございます。」
 
 みなさんに直接話すのも今日で最後となります。
 義務教育の修了と、皆さんの新たな門出にあたり、私自身の根っこにある話を伝えたいと思います。

 私は、7年前に大きな手術をしました。まさに「命を賭けた手術」、そこに至る奇跡的な出来事はさておき、10時間の手術で奇跡的に命をつなぎました。その後の3ヶ月間の入院生活は、苦しい時間でもあり、自分自身多くのことを考え、学ぶ時間でもありました。
 そのときに学んだ二つのことを伝えておきたいと思います。

 まず1つは、「当たり前と思っていることは当たり前ではない。」ということです。私は、「どんなに息を吸っても空気(酸素)が入ってこないという苦しさ」から、息をすることすら当たり前ではないのだと学びました。そして、そう考えたとき、普段「あたりまえ」と思っている生活の一つ一つ、出来事の一つ一つがとても価値あること、価値ある時間だと感じるようになったような気がします。
 もう一つは「頑張れ!」という言葉です。私自身もよく口にする言葉「がんばれ!」ですし、とても力を与える言葉です。でも、本当にギリギリの状態に置かれた人間にとって、それ以上の言葉があるということを知りました。それは、家族や看護師さんから受け取った「大丈夫ですよ。」「いいんですよ。」という言葉でした。優しい言葉での裏に、「その人のために、その人のことを支えていくのだという強い覚悟」を感じることができ、大きな勇気をいただきました。
 この二つのことから、「人は生かされているのだ」と強く感じました。そして、それならば、少しでも自分の納得のいく生き方、悔いのない生き方をしたいとも考えました。

これからの時代を築き、未来を託されたみなさんに一つの詩を贈りたいと思います。
  ナジーム・ヒクメット の「本当の旅(a true travel)」という詩です。

  最も立派な詩は まだ書かれていない
  最も美しい歌は まだ歌われていない
  最高の日々とは まだ過ぎていない日々のこと
  最も広い海には まだ誰も航海に出ず
  最も遠くへの旅は まだ終わっていない
  不滅の踊りは まだ踊られておらず
  最も輝く星とは まだ見つけられていない星
  何をすべきか まるで分からなくなった時
  その時にこそ 本当の何かができる
  どこへ向かえばいいのか まるで分からなくなった時
  その時こそが まさに本当の旅の始まり

最後になりましたが、この子たちの未来が素晴らしいものになるよう、この場に同席される全ての皆様のご支援をお願いいたします。
「自分だけのシンフォニー」は、次の楽章に進もうとしています。
 「悔いのない生き方」を期待し、忘れてはならない「震災からの復興」が使命である社会に踏み出してくれることを願い、式辞といたします。