2014年10月

実るほど 頭を垂れる 稲穂かな

雑感

 先日の全日中校長大会で、三國清三さんの講演をお聴きしました。
 今や世界的にも有名な料理長なのですが、(先日、図書館で偶然著書を見つけ、同じ日にネスカフェのCMに登場しているのに気づいてびっくりしました・・・)北海道の増毛という小さな漁師町に7人兄弟の三男として生まれ、毎日の食べ物にも事欠く貧乏な生活だったそうです。著書の中には、
 「海が荒れて漁に出られないとき、ぼくは父と一緒に浜に打ち上げられたホヤを拾いに行きました。砂まみれになったそれを海水に洗ってかぶりつく。すると“海のパイナップル”と呼ばれるホヤの甘さ、内臓の苦みと酸っぱさそして塩水のしょっぱさが入り交じった味が口いっぱいに広がっていく。
 そればかりか、ぼくは母の作った野菜を畑でしょっちゅう生でかじり・・・・」とあります。人の味覚には五味「甘味」「酸味」「塩味」「苦味」「うま味」があり、舌の表面にある“味蕾(みらい)”という器官で感じ取っているそうですが、三國さんが最高の料理長と呼ばれるようになったのは、貧しさの中で、12歳がピークといわれる味覚の感覚を知らず知らず研ぎ澄まし、それが「味覚のルーツ」になっていたからだということです。
 そんな彼ですが、フランスに渡り料理界で現在の名声を得るには、貧しさの中で、大変な苦労と努力があったことは想像に難くありません。その大きな励みになったのは折に触れて母親から聞かされた言葉
「お金がなくても学歴がなくても、志は平等なんだよ」
「稲穂のように、実るほど頭を垂れなさい」だったということです。
 心に留めたい言葉です。

気づき、そして行動する

学校

さあ、今日から2学期が始まります。そのスタートの場、君たちに話す貴重な機会に、「気づき、行動する」ことの大切さについて話しておきたいと思います。
 英語辞書で「気づく」をひくと、いくつかの単語がヒットします。
その中でも大切な単語にnotice と realizeがあります。
 notice は「見たり聞いたりして気づく」という意味、realize は、「感性や推理を通して、真実であることに気づく」という意味があるそうです。

 私たちにはその両方が求められます。もし、周りの人からからかわれたり、嫌がらせをされている姿を見たり聞いたりしたならば、それが罪なのだと気づかなければなりません。周りの心遣いに出遭ったときには、それを優しさや思いやりだと気づかなければならないのだと思います。
 そして、その気づきに対して、自ら行動していくこと、それが人として持っている感性なのだと考えます。

 さらに述べるなら、もしも、友達のものを隠したり、壊したり、嫌がらせをしたり、いじめたりといった言動する人はもちろんですが、それに気づかなかったり、気づきながらも、気づかないふりをしたり、それを見過ごすことがあったならば、人としては、まだまだ未熟なのだということなのだということでしょう。

 残念ながら、人は未熟な人間であり続けます。

 だからこそ、私たちは、五感の全てを尽くして「気づき」をするための身構え、「気づく」ための努力をしなければならないのだと思います。

 今日から始まる2学期が、ここにいる全ての人にとって少しでも多くの「気づき」のための努力の日々であることを願っています。