2010年10月
2010年10月24日
雑感
山本氏は、宮城谷昌光氏の三国志の冒頭の部分を引用して話された。
それは夜道で役人に袖の下を渡し、自分が利するために役人を籠絡しようとする商人と役人のやりとりの場面であった。
「馬鹿なことをするな。」と断る役人に、商人は「何でそんな堅いことを言う言うんですか。誰も見ていないじゃないですか。」と迫る。そんな商人に対して役人は続ける。「何を馬鹿なことを言っているんだ。誰も見ていないと何でそんなことが言えるのか。現にあんたは私を見ている。私はあんたを見ている。さらに天は今ここにあることを見ている。地も見ている。・・・4つの眼がここにあることを見ているときなのに何で誰も見ていないと言えるんだ。」と追い返す。
そして、氏は、現在の社会の中に、もっと『人に見られる。人の目にさらされる時に恥ずかしいことはできない。』という恐れが自分の中に刻み込まなければならない。」と続ける。
先生という職業は、常に人の目にさらされている。それを職業として選んだ以上、それをしっかりと自分の中に刻み込んでいかなければならない。
「堂々とした歩みを見せて欲しい。それは100万の言葉に勝る。」という氏の力のある言葉が、今も新鮮な響きをもって心に残っている。
2010年10月19日
雑感
チリ鉱山落盤事故から70日間を経て救出された33名の姿は、我々に多くのことを教えてくれました。
生存が確認され、連絡がとれるようになってからの救出劇とそれを待ち耐えた「人の力」「人のつながり」に世界の全ての人が素直に感動を覚えたのはもちろんです。・・・しかし、それにも増して、すごさを感じるのは、生存が外に伝わるまでの17日間を支え合った精神力の強さです。ほとんどが絶望に向かおうとする中で、かすかな可能性を信じて、わずかな食料と水分を計画的に分け合い、いつまで続くかも分からない恐怖と闘い切ったことです。「死を覚悟した」「空気が足りなくて、坑道内を探し回った。」「皆が絶望していた」と作業員が振り返るように、17日間の33名の葛藤を想像するとき、言葉を失います。
・・・ちょうど同じ頃、私たちが耳にしたのは、東京で起こった中学3年生が耳の不自由なホームレスの男性に熱湯をかけたという事件でした。「おもしろかった」「やり過ぎた」という言葉の中に、人の命に対する尊厳は感じられないことに衝撃を感じます。
これら2つの出来事から見えてくる「人間の強さと弱さ」。どちらも全ての人に潜在しているものである以上、「どんな人に育っていってくれることを願うのか」という私たち大人の「願い」を明確に示していくことが大切なのだと感じます。
2010年10月11日
学校
さあ2学期、平成22年度後半のスタートです。
勝負どころは続きます。これまで以上に精一杯踏ん張りたいと思います。
いろいろな課題はあります。中でも特に大きな課題は、「授業規律の確立」です。
どの生徒も勉強が分かるようになりたいのです。授業が教師と生徒の共同作業であり、
学級の30数名の生徒に責任を負い、学びに向かう生徒を大切にするのであれば、授業中の勝手な立ち歩き、私語、悪ふざけがダメなことは分かります。
それでは、授業中、机上に何も出さず姿勢を崩している姿はどうなのでしょう。
堂々と顔を伏せて寝ているのはおかしくないだろうか。
自分勝手な手なぐさみをし、気が向けば、瞬間の教師の言葉を茶化す姿はおかしくないのだろうか。
何よりも、それに対して指導を放棄する教師の姿はどうなのでしょう。
そのジレンマの中で葛藤するのは、けっして自分だけではありません。しかし、それを
見て見ぬふりをする教師と何とかして向き合おうとしている教師、その違いを誰よりも生
徒は素早く見抜きます。
だからこそ、だからこそ、全員で向き合っていかなければならないのです。
一緒に一歩でも前へ進みましょう。
2010年10月5日
合唱
合唱コンクールを終えてまだ3日目だというのに、随分と経ったような気がする反面、まだあのときの合唱が感性の奥に響いているような・・・不思議な感覚です。
今年の合唱コンクールがくれたものは予想以上に大きなものです。例年以上にそれぞれの学級が乗り越えたものは大きかったような気がします。まさに学級。嬉しいことも、多くの生徒たちが、「嫌なことも、学級の仲間となら、この先生となら乗り越えていける。」ことを肌で感じたことと思います。プログラムに書いた言葉の次に、生徒たちはどんな言葉を綴っただろうか?その言葉の中に、「自分」は登場しただろうか?「仲間」は?「指揮者」は?「伴奏者」は?「担任の先生」は登場しただろうか?合唱コンクールを通して手に入れたものは、それぞれに異なっていたとしても、これだけははっきりしているはず。 「この感動は、自分だけで手に入れたものではないのだ」ということ。
2010年10月5日
合唱
合唱コンクール当日、心配していたのは「音」でした。
その一つは「雨」。・・・そしてもう一つは、「バイクや車の不自然な走行音」。 体育館での合唱コンクールです。もしも歌声がそんな雑音にかき消されるのは辛いものです。しかも、メッセージソングを歌い仕上げようとすればするほど、静寂の部分が大切になります。3年生の歌は特に、完成度が高く、曲の中の張り詰めた部分が勝負となるだけに・・・・・。賞がどうのこうのと言うよりも、これまで一丸となって完成させてきた合唱が、雑音で中途半端に終わってしまうのは絶対にあってはならないことです。・・・
そして当日、有り難いことに、静寂の中で合唱コンクールは終えることが出来ました。きっといろんな方の支援のおかげだったのだろうと思います。