2011年12月

教育

20111222

 私たち一人一人が自分だけの花を咲かそうとしています。そしてそれを支える枝や幹を持っています。
 しかも、それぞれの枝や幹を見て、その違いを知ります。
 自分の枝や幹と比較して、「あの人のしっかり枝や幹が羨ましい」と感じ、「自分ももっと立派なしっかりした枝や幹がほしい」と思い、悩んだり苦しんだりすることも多いに違いありません。

 しかし、今のみなさんに大切なのは根なのです。枝や幹をしっかりと支え、十分な養分を贈り続ける。地中一杯に広がったしっかりした根を持つことが大切なのです。

 ここで、大きな問題があります。それは根だけは見えないということです。

 「見えないからこそ、大切であり、怖さを感じる部分です。」と書きました。
この見えないが故の怖さを感じることが子どもから大人になっていくことなのだと思います。
 見えないうちに、自分の根は伸びが遅くなっているかもしれない。ひょっとしたらやせ細っているかもしれない。・・・もし見えれば誰かが「枯れかけているから注意しなよ。」と言ってくれるかもしれない。水や栄養を与えてくれる人がいるかもしれない。
でも見えない以上、自分の判断で、自分の力で進むしかないのです。その怖さを超えるのは、自分しかありません。

 冬は、下へ下へと根を伸ばし、見えない根を大地にしっかりと張る時です。
 根を張り続け、養分を吸い上げ続ける冬休みであることを願っています。

謙虚さ

雑感

 教師には2つのタイプがあると言われます。
 1つは、子どもに教えることを通して豊かになっていく教師であり、1つは、子どもに教えることを通して貧しくなっていく教師
 長い教師生活を通じてますます自身を充実させることができるか、それとも次第に自らを消耗し尽くしてしまうかです。
 その岐路は、「子どもから学ぶ」「仲間から学ぶ」「本から学ぶ」という姿勢を持続できるかどうかだと言われます。
 ネタが尽き、生徒に見切られてしまっては、生徒に押されてしまいます。
 「学ぶ=新たなエネルギー補填・補給」の大切さと、その大前提として「謙虚さ」の重要性を感じます。
 皆さんのおかげで、生きていることを感じる充実した1年でした。
 ありがとうございました。
 少しでも身体を癒し、「学ぶ」ことのできる冬季休業であることを願っています。
 火曜日の校内研が『実(me)のあるもの』であるよう、全員・全力で臨みましょう。

人権について伝えたいこと ~子どもたちへ~

子どもたちへ

 人はいろいろな社会の中で、人との関わりを持って生きています。だから、全ての人が存在を認められ、お互いにあたたかく受け入れられる社会でありたいと思います。一部の者だけが、好き放題のことをし、その裏で、自由を奪われ、つらい思いをする人が存在するような社会であってはならないと思います。ましてや、友達という名の下に人を自分の思い通りに扱い、その存在を認めないような集団であってはならないのです。
私たちにまずできること。それは、自分を大切にすることです。それはけっしてわがままを通すことではありません。自分自身の尊厳を大切にし、不合理に気づき、立ち向かっていくことなのです。今は、まだ力のない弱い自分であろうと、不合理には「おかしい」と感じる人であってほしいと思います。
 それが、他の人の尊厳に気づき、大切にすることにつながっていくのです。
 生活の中で、「どうして私だけが……」って感じたことはないでしょうか?
周りにつらい思いをしている人はいないでしょうか?
「ひょっとしたら自分がいつの間にか、友達を傷つけていたのでは…」と思うことはないでしょうか?
そして、知らず知らず「傍観者の罪」を背負ってはいないでしょうか?
 皆さん一人ひとりを愛しみ、かけがえのない存在だと感じている人は必ずいます。
 人権週間がじっくりと自分を振り返るひとつの機会になることを願っています。