2011年3月

真剣に生きるということ  平成22年度 修了式に

子どもたちへ

 3月11日の東北関東震災の爪跡が毎日のようにニュースの映像に流れます。
10メートル以上の津波。今住んでいる場所、周りに当たり前にある全ての物が一瞬にして無くなってしまうことの悲惨さは、想像を絶するものです。
 その場に遭遇していない私たちが、災害を体験した人たちの苦しさを、分かったことのように口にすることはできません。しかし、これだけは伝わってきます。
 「寒さに震え、余震におびえ、一日の食事がおにぎり1個、飲み水がコップに半分の生活を強いられている人」そして、その中で「悲しみを超えて、歯を食いしばって、命をかけて真剣に生きている人たち」が、今この瞬間にもいるんだということも現実なのです。
 先日、ニュースの中で、自分の家族がどこにいるのか分からない中で、一生懸命避難所でボランティアをしている中学生たちの姿が流れました。その顔はとても中学生とは思えないほど、凛々しく逞しく大人っぽいものでした。それは、まさに歯を食いしばり真剣に生きている証なのだと思います。

 今、平成22年度が修了します。君たちは、それぞれに学年が上がり、4月になると新しい生活が始まります。
 君たちに是非訴えておきたいと思います。今、話しておかないと後悔してしまいそうな気がするから・・・。
 それは、「人は真剣に生きなければならない。」ということです。そしてそれは、「本当に大切なものは何なのかに気づくことなのだ」ということです。

 人間というのは弱いものですから、いつも不満を抱えて生きています。誰だって不満はあります。もっとこんな物がほしい。もっとこうだったらいいのに・・・。その願いはどんどんふくれ上がっていくのかもしれません。しかも、自分のことしか考えられなかったり、周りに迷惑をかけたり、ちゃかしたり、悪ぶったり、つまらないことで人を傷つけたり、・・・ということもあるのかもしれません。
 でも、分かってほしいのです。大切なのは、「真剣に生き」「本当に大切なものは何なのかに気づくこと」なのです。

 学年が新しくなるということは、ひとつの大きなチャンスです。自らが「真剣に生きる」ということをめざすチャンスです。
 さあ、一人一人が変わる時です。
 4月に入り、今度出会うとき、君たちの顔つきが一回り大人っぽくなっていることを期待しています。

平成23年3月11日

雑感

 感動の卒業式とともに、もう一つの3月11日は私たちにとって忘れられない日となりました。毎日伝わってくる映像やニュースの悲惨な状況に心を痛めながらも、温かな食事を摂りながらの自分に気づき、辛くなります。
 今も極限の中で命をつないで被災地の人々があります。そして、自らの生活を犠牲にして、また命をかけて救援・復旧・安全確保に取り組んでいる人々がいます。このことを私たちは忘れてはいけないのだと思います。生徒にそのことを伝えることも必要です。もし、それが伝わったならば、生きられることの幸せと真剣に生きることの大切さに気づくことつながるのではないかと思います。
日本の「ただごとではない」状況です。今、私たちにできることは何なのか。
 やがて、本校にも被災した子どもたちが転入してくるものと思います。少なくとも、その準備と心構えをしておかねばと思います。

差をなくす

子どもたちへ

 昨年度の春の甲子園大会に21世紀枠で出場した学校の中に佐渡高校という島の高校がありました。
その野球部を率いる深井浩司監督が述べているのは『差をなくす』ことの大切さです。
「『授業態度と部活動の練習態度の差をなくす。
 練習と練習試合の差をなくす。
 練習試合と公式戦の差をなくす。』
 普段からのそういう習慣が必ず最後に生きてくる。」と述べている。
私たちの周りにも「差をなくす」ことの大切さは潜んでいる。
 例えば、日常生活と部活動の姿の差をなくす。
 朝の挨拶と部活の中での挨拶の差をなくす。
 授業への集中力と部活動の集中力の差をなくす。
 テスト期間中の学習姿勢と普段の学習姿勢の差をなくす。
 いろいろなキャンペーンやコンクールと普段の生活との姿の差をなくす。
まだまだ身の回りになくしていかなければならない差が潜んでいるように感じられてならない。
今私たちに必要なのは、この差をなくしていくことなのです。
差をなくすことを私は「本物になること」と言いたいと思います。
さあ、3年生が卒業した今、今日からは君たちが松陵中学校を背負っていかなければならない。君たちの言動は全てが松陵中学校を伝える言葉となる。
自分自身の中の差をなくし、本物になっていくことを期待しています。

un sung hero  平成22年度 松陵中学校 卒業式 式辞より

子どもたちへ

みなさんは「hero」という言葉を知っていることでしょう。もちろん「英雄、華々しい活躍をした人、主人公。」のことです。では「un sung hero」という言葉はどうでしょう。「un sung 」つまり「たたえられていない」「世に知られていない」そんな「hero」。日本語では「縁の下の力持ち」と言うのでしょう。いろいろな行事や部活動の大会で、みなさんからたくさんの感動をいただきましたが、それはグランドやコート、ステージで出逢ったたくさんのheroの姿だけでなく、応援席から声を枯らして真剣に応援し、インターバルでタオルを渡し、風を送ろうと懸命に選手を扇ぐ姿から受けとったものだったように思います。君たちの魅力は、何も気づかずに素通りしてしまいがちなそんな「un sung hero」の大切さと素晴らしさを感じる感性を育てられ、身につけているところであるように思います。人生には、縦糸と横糸があります。特に良い織物には、しっかりした縦糸が必要です。その縦糸とは時間的な軸であり、「過去を知り」「未来を見つめ」「夢をもって今を生きる」ということです。今年度から立ち上げた『Shoryo 夢 Project』のねらいは、まさにその「縦糸」をしっかりとつかむことにありました。社会・環境・エネルギー・教育・福祉。さらには「敦賀スタンダード」の中心となっている「ふるさと」。これらの芯となる縦糸以外にどんな縦糸を張るかは自分で決めていかなければなりません。きちんとした縦糸を持つことが今の皆さんに求められています。 そして「横糸」。それは、もちろん同世代の友であり、同じ志をもって活動する仲間です。しっかりした縦糸の上に、いろんな横糸を紡いでいく。そうしてできあがった一枚の布は薄っぺらなものであったとしても、何百枚、何千枚と重なり合ったとき、社会や世界に大きな揺れがやってきたとしても、十分に耐えられる社会が生まれるのだと思います。
人生は壮大なシンフォニーです。「自分だけのシンフォニー」は、今まさに、次の楽章に進もうとしています。「よりよき市民、よりよき社会人、よりよき世界人」を目指して、勇気をもって、さらに一歩踏み出してくれることを願い、式辞といたします。