2011年7月

雨だれ(=点滴)石を穿(うが)つ

子どもたちへ

 今年度の夏休みのしおりに載せた言葉です。
近所のお寺の軒下に、この「穿(うが)たれた石」がありました。生徒の皆さんや保護者の方もどこかで目にされたことと思います。
 一滴では何の力もない雨だれが、何万回何億回と同じ処に落ちたことでつくられた自然石のくぼみを見たときの感動は、わたしたちがこれまで抱いてきた「継続」という認識を変えるに十分なものです。
 それは、「小さなことでも長い間根気よく努力をすれば、最後には大きな成果になる」という諭しを与えてくれるとともに、それが自然に何の力みがないままに起こっていることに、自然の大きさと悠久の流れを感じ、人間としてというよりも、生物として謙虚であることの大切さを示してくれているように感じます。
 「今の私にとって必要な雨だれ」とは、「自分の中で、意識することなく、いつの間にか大きな形になって表れてくる継続的な活動や生き方」なのでしょう。
 それは、学問でなくてもよいと思います。普段の生活の中での「育ち」や「躾」ということもできるでしょう。
 簡単なことでもいい。その成果が形になって表れる日が必ず来るから・・・・・。

『横のつながり』と『地域力』

教育

 我が子のことは意外と見えないものです。そして、見えていても見たくないことも多いものです。誰もが子育ての中で、悩み感じてきたことと思います。
 だからこそ、近所の方や地域の方など、つながりのある方からの「○○君頑張ってたよ。」「こんなところで見かけたよ。」「こんなことしていたよ。」「こうした方がいいんじゃないの。」といった情報提供やアドバイスが大切なのだと思います。それぞれが抱えている子育ての悩みです。だからこそ、分かり合える部分もきっとあるに違いありません。
 「地域で育てる子どもたち、地域に育つ子どもたち」を強く感じます。

『ひとさまには』

教育

 「ひとさまには迷惑かけたらあかんよ。」・・・幼い頃、祖父母や両親のこの言葉を耳にしたことのある方も多いことと思います。
 「ひとさまには」(漢字で書くと「他人様には」となるようですが)という言葉の裏には、「家族ならば、いいことも悪いことも享受して、家族みんなで支え合っていくんだ。」という決意や、「それができるのが家族なんだよ。」という強い覚悟を感じることができます。
 今、社会全体の中に「自分」や「個」の利益が優先され、それを得るためならば、「他」が受ける不利益や迷惑は二の次といった姿が見てとれるのが残念でなりません。しかも、その優先している利益そのものがちっぽけなものになりつつあるのも感じます。「他」を意識する文化が、随分と見えなくなりつつあるといってもいいのかもしれません。決して「他」を意識することがいいことばかりではないのは分かっていますが、「自分の家族や身内の問題は自分たちで精一杯解決していこう。」「ひとさまには、迷惑をかけることは絶対に許されないんだ。」という意識を、私たち大人が子どもたちに、はっきりと伝えていかなければなりません。

夏の大会に向けて

部活動

 夏の大会まで、一週間となりました。部活動に集中しづらい部分を抱えながら、本当に
ありがとうございます。先生方も素晴らしいですが、雑音に惑わされずに練習に取り組ん
でいる生徒たちも立派です。限られた時間の中です。欲張り過ぎないで、一人一人が「や
るだけのことはやった」と思える大会になること、23年生が、後輩に素晴らしい背中を
見せてくめることを願っています。
 夏休みまでに種をまいておかなければならないこともたくさんあります。種をまいてお
かなければ、何の期待も出来ません。もう一踏ん張りお願いします。