2018年9月

WE奏スペシャル・コンサートを終えて

コラム

ウインドアンサンブル奏スペシャルコンサートを終えて  9月9日(日)

昨日(9/8)のWE(ウインドアンサンブル)奏のコンサートは、いかがだったでしょう。当日の天候も不安でしたが、有料の吹奏楽コンサートにどれだけの観客が来て下さるか、最後まで不安の中にありました。
コンサートの内容について述べる前に、今回のコンサートで、私たちが、チャレンジした2点について、振り返りたいと思います。
 一つは、2階席を閉鎖しての会場設定であったことです。ご覧になった方から、「いつ工事したの?」という声もお聞きしました。2階席を閉鎖しての800人のホールでの、プロの吹奏楽サウンド。その音圧に対して、どのような響きがするのか、一部不安な部分もあったわけです。ステージ上でフリーに音を出していただいた中、リハーサル直前に天井を稼働させました。流石に景色の変化に驚かれた団員もおられたようですが、響きとしては、コンサートホールとして十分に機能していることが証明されたようです。当日本番の観客は400名弱。2階席に分散されていたら、演奏者としてみると少々寂しいことになっていたと思うのですが、その不安が払しょくされたことは大きな成果であったと考えます。
 二つ目は、喫煙室を閉鎖させていただいたことです。私も喫煙します(電子タバコではありますが)。それでも、演奏開始前や休憩時のホワイエのたばこの臭いは、けっしてコンサートにふさわしいものだとは思えないものです。私たちの無理な要望に、屋外の適切な場所をセッティング下さった文化センター職員のみなさんの対応に心より感謝申し上げます。今後、公共施設での喫煙が厳しくなる中、一つの試みとして、形になったものと考えます。ご協力くださいました皆様、ありがとうございました。

 文化センターの場合、中央の通路から後ろに観客が集中する傾向があります。それは、ステージが少し高いために、ステージ上を見渡すためには、どうしてもそうなるのだと思うのです。ただ、800名のホールとして、リハーサルを通して聴かせていただき、中央通路よりも前の響きの方が音に厚みがあるような気がします。通路より前、つまりはステージ上の団員の視野に入る部分の空席を無くすための工夫が必要なのです。これは演奏者のモチベーションアップ以上に、演奏者に対する礼儀という面からも真剣に考えるべき事柄なのだと思います。

 今回のプログラムは、いかがだったでしょう。
冒頭の全日課題曲「虹色の未来へ」の木管セクションのブレンドされた柔らかな音色に、胸が熱くなりました。力のある奏者がややセーブして創り出されたハーモニーの素晴らしさを感じました。
今回、私たちから強く演奏を依頼した曲である「エルザの大聖堂への行列」は圧巻の演奏でした。ただでさえ難曲と言われる曲ですが、あのテンポで最後まで吹ききる。後半に向けて大きなフレーズ観で盛り上げていく姿に、ワグナーの見方が変わっていくような気さえしてきます。私自身、目頭が熱くなった名演だと感じました。
2部については、ひたすら軽妙な司会・進行と各ソロのプロらしいパフォーマンスに、いつの間にかコンサートの中にどっぷりと浸かっている自分に気づき苦笑してしまいました。
「ディブパープル・メドレー」と「宝島」という、かなり負担度の高い曲を2曲アンコールに持ってきたところにも感服です。

 さて、それ以上に今回の演奏会を通して感じたことがあります。それは、敦賀の子どもたちにとって、今回のようなコンサートは絶対に必要なのだということです。プログラムの「主催者挨拶 ※」の中でも述べさせていただきましたが、心を育てるためには、「心の琴線」に触れる機会が必要なのだと思います。特に、音楽や芸術の部分には、『感動』は、不可欠な要素なのだと思います。
素晴らしい音楽に接して、苦しいほど心(胸)が締め付けられる。そして解放されてほっとする。そのやりとりの頻度がある程度確保される中で、心は鍛えられ育っていきます。その体験が心の醸成に繋がっていくのだと思います。そんな機会をもっと提供してあげたいと、強く感じました。
「生演奏を聴く」機会は、都市部に暮らしていれば、求めれば毎日のようにあるのかもしれません。学校から帰り、平日でもそれほどの負担なく可能なのかもしれません。しかし、この地に暮らす私たちにとっては、結構ハードルが高いことであるような気がしてなりません。子どもたちにとってはなおさらなのではないでしょうか。
その点で、私たちが提供する部分で、もっともっとやれることはあるはずです。
 そんな機会を少しでも大人が(行政が)準備していかなければならないのかもしれません。

※ 指揮者の佐渡裕氏は、著書の中で、「人の命だけでなく、音の命もまた生まれては消えてゆく。それを繰り返して音楽ができる。だから、音楽することは、命を扱っているようなものだ。音楽もまた、時間の中にある。演奏は一回だけしかなく、奏 でられた音はもう消すこともやり直すこともできない。だからこそ、美しくてはかない。」と述べておられます。 どんなに、デジタル音源を中心とする再生機器が進化しようとも、コンサート会場で直接肌で感じる音楽の素晴らしさは何ものにも変 えられないものです。その感動を体感する機会を提供することは、私たち音楽する社会人の大きな務めであるとも感じています。