2012年4月

「もしも」と「もしもし」

教育

 名君の誉れ高き上杉鷹山(うえすぎようざん)は、人を動かす方法について、
「してみせて、言ってきかせて、させてみよ」と説きました。
1 やって見せる[模範/もはん]
2 やり方を教える[指導/しどう]
3 その通りに、やらせる[模倣/もほう]訓えです。
頭文字をとって「もしも」の三段階と言われます。
 これをもとにしたといわれる山本五十六(帝国海軍連合艦隊司令長官)の名言
「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ」
は、上杉鷹山の三段階に、4 褒める[賞賛/しょうさん]を付加して、締めくくりに「ほめることで人は動く」と説きました。「もしもし」の四段階です。
「もしも」の三段階の理詰めに、山本五十六は「褒める → 嬉しさを感じる」という感情論を加えました。理論ばかりじゃ人は動きません。褒めることで、感情が刺激され、人は動き出すということなのでしょう。
 褒めることの大切さを感じます。褒める引き出しをたくさん持ちましょう。

井戸を掘るとき、最初は泥水  平成24年度 始業式 式辞より

子どもたちへ

 中学校の3年間で何よりも大切なことは自らの将来を考えるということです。そして、そのために逃げることなく自分自身と向き合い、卒業するときには、一人の人間として生きていく方向と力をつけていることなのだと思います。
 そのための大切一年間が始まります。

 そんな君たちに、
「井戸を掘るとき、最初は泥水だろ」という言葉を贈っておきたいと思います。

 自分を掘り下げるのは井戸を掘るのと同じです。最初は泥水になるけれども、どんどん同じ所を深く掘り下げていく。そうすればやがてきれいな水が無限に出てくるのです。最初からきれいな水を手に入れることはできません。その時、人は悩み苦しみます。「本当に水が出るのだろうか。」という不安と闘いながら掘り続ける姿にこそに意味があるのでしょう。
 このように井戸を掘り、いろいろな泥水に出逢う場面が学校生活には数多く用意されています。合唱コンクール、体育大会などの大きな行事はもちろんですが、日々の活動すべてで皆さんが味わう迷いなのだと思います。
「ひとつひとつのことにひたむきに取り組むことの大切さをこの言葉に託します。」

最後に、大事なことを伝えます。
 「みんな違ってみんないい」という言葉にあるように、人は一人一人違います。それは胸を張るべきことなのだと思うし、それを大切にしていく集団でなければなりません。ですから、身体のことや身の回りのことなど、その人の責任ではないことに対して、その人が辛い思いをするような言動は絶対にあってはならないのです。この言葉を絶対に忘れてはなりません。

 皆さんとの新しい生活、そして皆さんの輝いた姿にたくさん出逢えることを楽しみにしています。

新入生の保護者のみなさんへ 「雀」

思い

 保護者のみなさん、あらためて御入学おめでとうございます。
中学校3年間、子どもたちは大きく成長します。
体も大きくなり、周りの「社会」や「大人たち」の姿をみる目を着実に肥えていきます。さらに、自らの身の丈を知ることから、自分の生き方に向き合い、時には迷い、苦しみます。
 しかし、その一方で、いろいろな感動と出逢い、精神的にも大きく成長していくのは間違いありません。身の丈を知らざるを得ないこともしっかりと自分のみ中で受け入れ、子どもから大人になっていくのでしょう。

 ツルゲーネフの詩文に「雀」という作品があります。
  作者が犬をつれて歩いている時に出逢った親雀の姿を描いたものです。
巣から落ちた我が子を、近づいてくる犬から救おうと、巣から飛び降り、雀にとってあまりにも巨大な犬に対して二度三度とびかかる親雀を歌った詩です。作者は「その姿に愛犬も後ずさりをした。・・・・その姿を認めたに違いない。」と続けています。
 この大きな犬が象徴しているのは何なのか。・・・それは、子どもたちを取り巻く幾多の誘惑であり、ひとり一人の子どもたちの苦しさであり葛藤なのでしょう。
 私たち学校の職員も、共に戦う一人でありたいと思います。

 私たちは精一杯努力します。しかし、時には失敗もあるでしょう。勇み足もあるのかもしれません。
 しかし、思いは常に、先ほどの式辞で述べたところにあります。
 力を合わせましょう。すべてはこの子たちのために・・・・

【参考】
        すずめ

 猟から帰って、庭の並木道を歩いていた。犬が、前を駆けていく。ふと、犬は歩みをゆるめて、忍び足になった。行く手に獲物をかぎつけた気配。見ると、並木道の先に、小すずめが一羽いた。まだくちばしのまわりが黄いろく、頭には綿毛が生えている。白樺の並木をひどく揺すぶるところを見れば、小すずめは巣から振りおとされて、生えかけのつばさを力なく広げたまま、じっと動けずにいるのだ。犬はゆっくりと歩み寄った。と、ふいに近くの木から、胸毛の黒い親すずめが、犬のすぐ鼻さきへ石つぶてのように飛び下りてきた。そして総身の羽をふりみだし、けんめいの哀れな声をふりしぼって、白い歯をむく、犬の口めがけて二度ばかり襲いかかった。親は小すずめを救おうと突進したのだ。身をもってわが子をかばおうとしたのだ。けれど、その小さな体ははげしい恐怖におののき、かぼそい声は狂おしく嗄れつきた。親すずめは気を失った。われとわが身を犠牲にした! すずめにとって、犬はどんな巨大な怪物と見えただろう!それなのに、彼は高い安らかな枝に止まってはいられなかった。意志よりも強いある力が、彼に下りよと迫ったのだ。わがトレゾールは立ちどまり、じりじりと身を引いた。犬もこの力に打たれたと見える。わたしは面くらった犬を急いで呼び、心のひきしまる思いで立ち去った。そうだ、笑ってくれるな。わたしは、この勇ましい小鳥を前に、その愛の衝撃を前に、りつぜんと襟を正したのだ。わたしは考えた。愛は死よりも、死の恐怖よりも強い。 それあればこそ、愛あればこそ、生はもちこたえ、めぐり行く。・・・・・

「散文詩」ツルゲーネフ 岩波書店より引用