2016年2月

「大丈夫ですよ」 

私の考え 雑感

「大丈夫ですよ」という言葉の大切さ                                     金沢大学卒業教職員同人誌「兼六会」への投稿文

平成27年4月26日の統一地方選は、私にとって忘れられない日となりました。
出馬を決断するに至るドラマは、ここでは割愛させていただくことにしても、3月31日に無事に教職生活に定年退職という形でピリオドを打ち、実質的な選挙準備は3週間という状態での市議会への立候補でした。その間の不安と焦りは、とてつもなく大きなものでした。強烈なプレッシャーに押しつぶされることなく選挙運動に突入できたのは、家族・親族はもとより、連合福井と教職員組合の全面的な支援があったからなのは間違いありません。
 どうして、政治の世界をセカンドステージに選んだのかと、よく尋ねられます。もちろんいくつかの誘因はあるのですが、私自身の根っこに次のようなことがあります。
 私は、7年前に大きな手術をしました。まさに「命を賭けた手術」で奇跡的に命をつなぎました。その後の3ヶ月間の入院生活は、苦しい時間でもあり、自分自身多くのことを考え、学ぶ時間でもありました。そのときに二つの大切なことを学びました。
 まず一つは、当たり前と思っていることは当たり前ではないということです。どんなに息を吸っても空気(酸素)が入ってこないという苦しさから、普段「あたりまえ」と思っている生活の一つ一つ、出来事の一つ一つがとても価値あること、価値ある時間だと感じました。
 もう一つは「大丈夫ですよ」という言葉です。私自身もよく口にする言葉「がんばれ!」は、とても力を与える言葉です。でも、本当にギリギリの状態に置かれた人間にとって、それ以上の言葉があるということを知りました。それは、家族や看護師さんから受け取った「大丈夫ですよ。」「いいんですよ。」という言葉とそれを具現化する体制でした。優しい言葉の裏に、「その人のために、その人のことを支えていくのだという強い意志」を感じ、大きな勇気をいただいたのです。
 そして、この時のことを振り返った時、もう一つの大きな現実に出会います。それは、「命を賭けた手術」の日が、父の葬儀の翌日であったということです。
あの時、息をするのも苦しい状態で、一日も早い県立病院への転院を勧められながらも、父の最期を見届けなければならないという思いで転院を拒んでいました。市立病院のベッドとの往復で、何もできないまま葬儀を終え、その翌日に救急車で県立病院へ搬送していただいたのですが、到着するとすぐに強烈な息苦しさに襲われ、目の前が真っ暗になり、そのまま緊急手術。10時間の手術で奇跡的に命をつなぎました。病名は「感染性心内膜炎」による心不全、僧房弁の置換手術でした。心臓全体がどっぷりと膿に覆われていたそうです。
 一日でも長く生きて欲しいと願ってはいたものの、もしも、父がもう一日生きていたら、葬儀が一日後だったならば私の命は無かったのです。私が今生きているのは、父が自分の命を一日分私に分けてくれたからなのだということに気づかされました。まさに、「父のくれた一日」なのです。「生かされている自分」を強く感じざるを得ません。
 人は皆、生かされているのです。その分大事に生きねばと思います。だからこそ、少しでも自分の納得のいく生き方、悔いのない生き方をしたいと考えるのです。
 だれもが大事に生きて欲しいと願います。「大丈夫」という社会で生きていくことができなければなりません。そんな社会を求め、やれることを精一杯やりたいと思うのです。

新たな窓から

雑感

 教員生活とは違った窓から市や県の取り組みを眺め、これまで自分が知らなかったことや知らされてこなかったことがたくさんあることに驚かされます。
子ども子育て新支援制度のもとで開設されている敦賀市内の児童クラブと小中学校を訪問させていただく中で、それぞれに抱えている固有の多くの課題とともに、共通する大きな課題を再認識させていただきました。その一つは「場=教育環境」です。どの教育現場も、子どもたちが力を発揮できる十分な空間と施設設備の確保は道半ばの状況にありました。二つ目は「人=人材確保・育成」です。一人一人のニーズを大切にし、子どもたちとじっくりと向き合うことが求められる中で、人的資源の不足は大きなものがありました。三つ目は「職員の賃金=条件整備」です。「非正規によって支えられている教育」と言っても過言ではない状況にあって、その時給や給与面での待遇改善は一向に進んでいません。四つめは、「予算」です。予算確保が不十分な中で立ち上げられた事業のしわ寄せは、すべて個々の職員の過酷な勤務実態として返ってくるのは明らかなのです。
その中にあって、二つのことを感じます。
一つは、垣根を越えて取り組むことの大切さです。
大切な宝である子どもたちのために、子育て支援に力を入れ、教育環境を整備していくことは、敦賀という小さな街の明るい未来を築くために不可欠な要素です。市民との共同だけではなく、関係機関の力を集結するとともに、部局を越えた連携を強化していくことが大切なのです。
もう一つは、教育現場の声を尊重することの大切さです。現場から乖離した取り組みはどこかで破綻していくのが常です。現場の声に真摯に耳を傾け、共に作り上げる教育であることが大切なのです。財政面で逼迫している今、これまで以上にスクラップ&ビルドが求められるのです。
大切な現場の声をしっかりと行政に伝えていくこと、声なき声、小さき声を少しでも形ある声にしていくことが私の使命であると感じています。
さて、今年は県や各市町が進める教育の大きな転換の年となります。敦賀市においても、新たな教育委員会制度のもと、総合教育会議と大綱によって、どのような教育を目指していくのか、それをどのように具現化していくのかが示されていきます。私たちは「新しい公共経営(New Public Management)」という改革理念のもとに、「説明責任」を果たしていくことを強く求め、しっかりと見届けていかねばなりません。
私たちの目指すものが「心豊かで、真理を見抜き、行動する力をもった人づくり」であることに違いありません。そのためには、まず、私自身、私たち自身がそうあらねばならないのでしょう。
私自身が学ぶべきこともまだまだたくさんあります。精一杯努力して参ります。
これまで以上のご指導、ご支援をお願いいたします。

ENJOY ピアノ協奏曲

コラム

今日は、ぽーとあい 敦賀市文芸協会 主催の 「ENJOY ピアノ協奏曲」でした。

福井県を代表するピアニストの川村文雄さんの繊細な表情をもつピアノをじっくりと楽しませていただきました。そして、高谷光信氏の感性豊かな音楽は言うに及ばず、福井大学医学部管弦楽団の表現力を見事に引き出した指揮力に感服しました。そして、何より、アマチュアオーケストラではありながら、すばらしいアンサンブルを聴かせてくれたオケに心から拍手を贈りたいと思います。
大学オケの定番とも言えるオープニングの「マイスタージンガー」は、私たち夫婦も大学オケで演奏した曲で、二人で懐かしく聴かせていただきました。
「1812年」のブラスの安定した重厚な響きにも震えました。
そして、メインのラフマニノフ。ラフマニノフの随所にみられる美しいメロディーには、心洗われます。一度中学生ブラスでも挑戦したこともあるのですが、弦でなければ表現できない(というよりも、管だけでは難しい・・)繊細なpとフレーズ感に中学生の限界を感じました。コンチェルトの難しさは、ソリストとオケとの音楽観をそろえることにあります。生で聴くコンチェルトの楽しさは、演奏力や表現力以上に、ソリストの人間性を肌で感じることができるところにあるのだと思います。今日のコンチェルトを通して、川村文雄さんというピアニストを応援したいと思った方、もう一度や音楽の場を共有したいと感じた方と共に、エールを贈りたいと思います。
吹奏楽もいいけれど、生で聴くフルオーケストラもいいものだと、改めて感じる時間でした。
水上実行委員長をはじめ、実行委員のみなさん、文芸協会のみなさん、ありがとうございました。

それにしても、久しぶりのコンサートのような気がします。今日は県内の多くのホールでいろいろなコンサートが開催されているようですが、「日が重なるのはもったいない・・・」と口にしながらも、やっぱり足を運びやすいのは、市民文化センターです。
客層を眺めてみると、年配の方(あくまでも主観ですが・・・)もかなりおられたように感じました。聴きたいという思いはあっても、市外まで移動するのはちょっと億劫に感じている方も少なくないことだろうと思います。年に数回は、文化センターで生オケを聴きたい。そんな思いを強くしました。