2012年2月

雪解け

雑感

 雪がようやく解けて、久しぶりに見るグラウンドの土に、春が近いのを感じます。
この時期によく耳にするのが「時期が来たら溶けるのに、除雪のあの苦労は何だったんだろうね・・・。」という言葉です。雪に悩まされたあのときの状態と今を比べると、あの時には生活を守るためにとにかく除雪が必要だったという事実を受け入れながらも、そんなぼやきも出てきます。
 でも、それが北陸・敦賀に住んでいる私たちの宿命なのでしょう。その分、雪の怖さとともに雪の美しさを体感できる幸せもあるはずです。知らず知らず、そんな思いが心の中に宿っていく、それが「観」であり「感性」というものなのでしょう。
 いい春を迎えたい。そのための山越えです。

構えをつくる

授業,学習・学びに

 剣道では竹刀を構えたとき、剣先は相手ののど元を捉えていると聞いたことがある。構えの瞬間からその空間には緊張感が漂う。そんな空気が授業にも必要なのだろう。
 まず、求められるのは、指導者である私たちの授業に対する構えなのはもちろんですが、今確かめたいのは、可視化された生徒の構えです。
「あしはぺったん、せなかはぴん。おなかとせなかにぐーひとつ。ひだりておいてさあかこう」・・・・・小学校1年生の書写で、まず躾けられる構えです。
姿勢の大切さと0.24㎡の机上の活用。・・・・・中学生になっても不易の部分です。

我、いかに生きんや

雑感

 雪とインフルエンザに悩まされた日々も、ようやく収束を予感させつつあります。
私立高校の結果がでましたが、市全体の状況から私たちが学ぶことは多いと思います。
「社会の眼の存在」そして、「学校という小さな社会は、『温室』という別天地ではない」ということ、「いろんな意味で力を付けさせることの大切さ」を再認識する機会となりました。このことを、親にも子どもたちにも、いい形で伝えていくのが私たちの大きな使命の一つなのでしょう。
そのためにも、子どもたちに、次の言葉を贈ります。
 「我、我に問う。『我、いかに生きんや。』」
  I ask me.  ”How should I live?”
  I ask me. ”For what purpose should I live?”
 最後の山が近づいています。乗り越えるために力を下さい。

どこまでを視野に入れるのか

雑感

 最近、オンカロ(フィンランド語で「隠し場所」を意味する、世界で唯一の高レベル放射性廃棄物の最終処分場)という地名を何度か耳にし、「100000年後の安全」という映像を観たときの衝撃がよみがえってきます。
 それは、「オンカロの施設の存在を後世に残すかどうか」という建設者たちの真剣な検討でした。すなわち「将来、この施設を掘り返すものがいるのではないか」という不安との闘いであり、その視野は生物にとって安全なレベルまで放射能が下がる10万年後だったのです。
 6万年後に予測されている氷河期を超えて、10万年後に、現在とは異なった“人類”が存在するとして、現在の言語が通じないであろう人々に、これが危険な物質であり、近づいてはいけない施設であることをどうやって伝えるのか。10万年後の“文明”を持った人類にとって、それらは宝物に映るかも知れないし、かつて人類がピラミッドをあばいたように、オンカロを開こうとするかも知れない。そうさせないために、危険性をどうやって伝えるか、「危険だ」「掘るな」「入るな」という標識を立てるか、現代の文字が意味を持つか、絵で表したらどうか、いや、「掘るな」というサインはかえって掘ろうという好奇心をかきたててしまうのではないか、いっそのこと、何のサインを残さないで、忘れ去られるようにした方がいいのではないか
 ・・・・という葛藤の中で、現時点では、「存在」は後世に残していくという方向にあるといいます。
 私たちにとって必要な視野は何年後なのかと考えさせられます。
 少なくとも3年後を見通して生徒に向き合いたいものです。