2010年2月

『聴く』ということ

授業,学習・学びに

 人は、母体の中で十月十日(とつきとうか)を経て世に生まれ出ます。その間、母親のお腹の中で最初に経験する活動は「聴く」(「受け取る」)という活動だったのだと思います。しかもそこで聴いていたのは、周波数で伝わる音や音声以上に、自分の誕生を喜び、それを待ち望む周りの愛情だったに違いありません。
 そう考えると、「聴く」ことは、我々が思っている以上に神聖なものであるような気がしてなりません。
 きれいで流れるような話は素晴らしいですし、自然と惹きつけられます。しかし、片ことで途切れ途切れの言葉であっても、精一杯語ろうとする言葉は聴く者に感動を与えます。私たちには、それを受けとめる力が備わっているはずなのです。
だからこそ、

○ 仲間や周りの大人が話す内容を最後までしっかりと「聴き切る」姿勢
○ 話し手の口調や抑揚から真の思いを受け取ろうとする姿勢

が大切だと思うのです。
 しかも、それが教室や集団の中で生活する全ての人の権利であることを思うと、
静かに聴くということの大切さと、話に耳を傾けなかったり、途中で話をさえぎったり、茶化したりすることのおろかさに気づきます。

 「学ぶことにおいて大切なのは、相手の言葉を聴く謙虚さである。」という言葉が思い出されます。

雪と生徒指導

学校

 校門の前に残っていた雪も消えようとしています。
 こうして解けてしまうと、あれは、「何だったんだろう・・・」と思います。
 でもあの時は本当に大変でした。爪跡は今も至る所に残っています。現に「これくらい
・・・・」という自分の甘さのせいで、愛車のフロントバンパーは3度にわたって凍てた雪の
洗礼を受けてしまいました。
 生徒指導に関する教育現場も、雪とのドラマに共通するものがあるように思います。
ただ大きな違いがあるとするならば、雪は自然に解けていくけれど、生徒指導の問題は、
私たちが苦しさを乗り越えないと解決されないという点なのだと思います。
 必ず雪解けの日はやってきます。その日を目指して・・・    お願いします。

つながりを求めて

学校

 コンクール・コンテスト・キャンペーン等が学校の内外を問わずたくさん企画されています。しかもそれらは子どもたちへの動機付けとしては大きな力を持っています。でも、残念ながらその期間や取組が終わると、いつの間にか忘れ去られてしまうものも少なくありません。
 私たちが大切にしなくてはならないのは、その取組の後に何が残り、その成果がどこにつながっていくのかを見極めることなのです。せっかくともった灯を消してしまうようなことはしたくありません。そのためにも常に空気を送り続けなければ……。

ウイニングトーン?

部活動

 私自身、長い間吹奏楽部の顧問をしてきました。この松陵中学校での思い出もたくさんあります。素晴らしい部員に恵まれ、多くの皆さんに支えていただき幸せな顧問だと何度も感じました。特に保護者会の皆さんの存在は、途中で投げ出してしまいそうになる自分の大きな支えでした。(10年以上経った今も、当時の保護者会役員の皆さんとは懇意にさせていただいています。)
 吹奏楽部の大きな柱は2つのコンクールです。
 あるコンクールでのことです。その日の演奏は指揮をしている自分自身が身震いするほどのよい演奏で、明らかに聴衆も我々の演奏に入ってきているのを背中に感じました。しかし、曲の最後に至り、それまで曲の中に入っていた自分の脳裏に雑念がよぎったのです。「この最後の音は、県代表を手に入れるウイニングトーンだ。」(勝利をつかむ最後の和音。)確かに、最後の重厚なハーモニーもきまり、大きな拍手を受けました。でも、ダメなのです。子どもたちと緊張感を共有して曲の中に浸っているべき時に、指揮者がその場を離れ、別の世界にいた。これでは音楽として未熟なのでしょう。演奏後、上気する子どもたちの満足そうな顔を眺めながら、自分自身の未熟さを悔いました。予想通り、県代表を手にすることはできませんでした。
 神様は、「音楽を舐めた」指導者に厳しい評価をくださったのでしょう。
 忘れることのない、貴重な一日でした。