2013年9月

泥水の価値

雑感

 いよいよ合唱コンクール。新人戦も重なってくるこの時期に、心に留めたいのは、やはり「井戸を掘るとき、先ずは泥水」という言葉です。
一つのものごとを成し遂げようとするとき、人は必ず泥水に出逢います。最初からきれいな水に出逢うとしたら、それは「まやかし」なのでしょう。
 泥水の先に透き通った水が待っているとは限りません。しかし、掘るのを止めてしまったら、きれいな水にも巡り会えないのは真理です。
 一つの集団が目的に向かって進むとき、乗り越えるべき試練の存在は誰もが知っています。しかし、教育に携わる私たちには、それを前向きにとらえることが求められるのでしょう。
 担任としていろいろな種類の泥水を感じる合唱コンクール。苦しさはあります。・・・・でも、その先に待っているのは、担任でしか味わえない最高の水に違いありません。
「井戸を掘るなら、水の出るまで」です。 

生きる糧

授業,学習・学びに

 9月11日、「伝説の教師」と呼ばれた橋本武氏が101歳の生涯を閉じた。その氏名よりも、灘校(灘中・灘高)での「スローリーディング授業」といった方がなじみがあるのかもしれない。正解を求めず、考えることを楽しもうと、中勘助の『銀の匙(さじ)』という一冊の文庫本とプリントのみで授業を進め、文章の語句からヒントを出し、連鎖的にさまざまな語句を学ばせ、自ら掘り下げて学ぶことの大切さを教えた。
「遊ぶように学ぶ」「当たり前だと思われていることに疑問を抱く」を貫いた授業。橋本氏はき、そのポリシーを「わたしが読書を中心に据えた授業をしようと考えた理由は、何とか生徒の心に生涯残って、生きる糧となる授業がしたいという大きな願いがあったから。」と述べている。
 「生きる糧」となる授業・・・信念をもって自らの伝えたいものにこだわり続けた生き方から、学ぶものは大きい。「教育とは、学校で習ったすべてのことを忘れてしまった後に、自分の中に残るものをいう アルベルト アインシュタイン 」という言葉が、思い出される。     

環境

雑感

 「音楽が存在するためには、まずある程度の静かな環境を必要とする。たとえば、鐘もしくはそれに類似する音が鳴り響いている中で、鐘の音を素材とした音楽を演奏しても、その音は環境と同化してしまうので、音楽としては聞こえない。ちょうど、赤い紙に赤色のクレヨンで絵を画こうとするのと同じである。」
 これは、芥川也寸志氏の「音楽の基礎」の冒頭、Ⅰ音楽の素材 1静寂 に掲げられた文章である。付け加えるならば、「ある程度の静けさ」の意味をこう述べている。「程度を越えた静けさー真の静寂は、・・・人間にとっては異常な精神的苦痛を伴うものである。・・・」と
 「音楽」を「学習(授業)」に、「鐘」を「私語」に、「音」を「発言」・・・・・と置き換えてみると、私たちにとっても大きな示唆を与えてくれる言葉となって響いてきます。
 ある事柄が成立していくには、「静かな環境」が整えられていることが不可欠です。私たちには「最適な環境」をしっかりと認識していくことが求められているのでしょう。