2013年12月20日
思い
今日は、「悲しみ」ということについて話したいと思います。
「やなせたかし」という名前は耳にしたことがあるでしょう。漫画家で、「アンパンマン」や「アンパンマンマーチ」の作者といった方が早いかもしれません。
彼の作詞した中に、もうひとつ有名な曲があります。
皆さんは「手のひらを太陽に」という曲を知っているだろうし、歌ったことものあるはずです。あの曲も「やなせたかし」さんの作詞なのです。
あの曲の中で、「ぼくらはみんな生きている。生きているから・・・・」語りかけています。そして「生きているから・・・・・・」と続きます。この次にどんな言葉が登場しますか覚えているでしょうか?
最初に登場してくるのは「生きているから、悲しいんだ」なのです。誰もが子ども向けの歌だから「生きているから嬉しいんだ」と、希望や夢が最初に登場してくるはずだと考えるのに、最初に登場してくるのは「いきているから悲しいんだ」・・・・・・不思議な気がしますが、「悲しみ」がなければ、「喜び」は分からない。ここに作詞者の思いがあるのでしょう。皆さんにも、是非考えてみてください。
私も同じようなことを思います。「悲しい、苦しいというのは、生きていく上での大きなエネルギー」なのです。「悲しい」というのは、心が凝縮された状態です。そこには実に多くのエネルギーが秘められているのです。
そこにある、はち切れるほどに高まったエネルギーは「喜び」に向かおうとするのです。
だから、変にごまかすことなく、思いっきり苦しみなさい。悩みなさい。
ただし、いつも隣には、「喜び」や「希望」が寄り添っていることを忘れないでください。
最後に
「アンパンマンマーチ」の歌詞に
「なんのために生まれて、なにをして生きるのか こたえられないなんてそんなのはいやだ!」とあります。
明日からの冬休み、多くの時間が君たちに委ねられます。
3年生諸君はもちろん、一人一人が、自分としっかり向き合い、しっかりとした自分を持った生活を送ってくれることを願っています。
そして「なんのために生まれて、なにをして生きるのか」という問いに少しでも近づく冬休みになることを期待しています。
2013年12月9日
雑感
先日納骨のために永平寺を訪れ、至る所に掲げられた『脚下照顧』という言葉に新鮮な感覚で再会しました。ちょうど時を同じくして同じような響きを持っている『あとみよそわか』という言葉にも出逢いました。
ご存じの方も多いこととは思いますが、(恥ずかしながら、私はついこの間まで知らずにいました。)「あとみよそわか」は、幸田文(明治の文豪である幸田露伴の娘)の随筆「父・こんなこと」に登場してくる言葉です。・・・文は幼い頃に生母を亡くし、継母は家事・躾けには関心のなかった人であったため、父露伴が娘文に家事一般の躾けを教え込みました。「あとみよそわか」とは、父娘が掃除の仕方の稽古をしていた時に露伴の口から出た言葉です。
「あとみよ」とは、「跡を見てもう一度確認せよ」というよりも、もっと生き方に関わる深い意味合いを持っている言葉なのは間違いありません。
ちなみに「そわか」は「般若心経」の最後に登場する「菩提薩婆訶(ぼうじそわか)」から来ているもので、ものが成就するときや人が亡くなる時、何かから境遇を脱する時、その際(きわ)を振り返り「あとみよそわか、あとみよそわか」と呪文に唱えて、成就を願い成るか成らぬかの是非を心に留めるよう振り返れという意味なのだそうです。
私たち大人に今求められている言葉なのかもしれません。
2013年12月2日
雑感
倒木更新というのは、エゾマツやトドマツのような針葉樹たちが子供を残していく方法のことで、針葉樹の子供たちは森の地面の上では生きていくことはできず、ただ彼らが生きていけるのは倒木、つまりお父さんや、お母さんまたはお爺さんたちの木の上だけだということです。どうして、広々とした地面の上で生きていけないのかというと、地面の上には暗色雪腐病菌という菌がいるためで、この菌に感染するとほとんどの針葉樹の子は死んでまうんだそうです。ところが、倒木の上にはこの菌はおらず、しかも苔蒸していて、夏の乾燥にも強く、しかも笹よりも高い位置になることが多いので光が当たる確率も多く、倒木の上で密集して針葉樹の子たちは大きく育っていくのです。また、暗色雪腐病菌という菌がもしいない土壌でも、ほとんどの針葉樹林がそうであるように、林床が笹に覆われていると、そこに種が落ちても光不足で子供たちは成長していくことはできないのです。一般に笹の内部の光の量はというと外部の1%にも満たないそうで、こういった環境の中無事に生き残って行くには二つの方法が考えられるんですね。ひとつはさっきのお爺さんの木が倒れて笹を押し倒した上に、種が落ちて、発芽して成長していくという方法ともう一つは笹枯れという現象を利用することなんだそうです。笹は寿命が数十年で、寿命が来るとそこら一帯の笹が一斉に枯れて、いったん枯れてしまうと復活するまでに十数年かかるらしく、この笹の枯れた十数年を利用して、木の子供たちは成長していくのだそうです。そして、笹が再び再生したときには、すでに木はぐんっと大きくなっていて、笹との光の争奪戦に負けないということですこの数十年に一度のチャンスを利用して木の子供たちは大きくなっていくのです。