あとみよそわか

雑感

 先日納骨のために永平寺を訪れ、至る所に掲げられた『脚下照顧』という言葉に新鮮な感覚で再会しました。ちょうど時を同じくして同じような響きを持っている『あとみよそわか』という言葉にも出逢いました。

 ご存じの方も多いこととは思いますが、(恥ずかしながら、私はついこの間まで知らずにいました。)「あとみよそわか」は、幸田文(明治の文豪である幸田露伴の娘)の随筆「父・こんなこと」に登場してくる言葉です。・・・文は幼い頃に生母を亡くし、継母は家事・躾けには関心のなかった人であったため、父露伴が娘文に家事一般の躾けを教え込みました。「あとみよそわか」とは、父娘が掃除の仕方の稽古をしていた時に露伴の口から出た言葉です。
「あとみよ」とは、「跡を見てもう一度確認せよ」というよりも、もっと生き方に関わる深い意味合いを持っている言葉なのは間違いありません。
ちなみに「そわか」は「般若心経」の最後に登場する「菩提薩婆訶(ぼうじそわか)」から来ているもので、ものが成就するときや人が亡くなる時、何かから境遇を脱する時、その際(きわ)を振り返り「あとみよそわか、あとみよそわか」と呪文に唱えて、成就を願い成るか成らぬかの是非を心に留めるよう振り返れという意味なのだそうです。
 私たち大人に今求められている言葉なのかもしれません。