2014年12月22日
教育を受ける権利
今日は、全校の諸君に話をする今年最後の機会です。
私たちにとって当たり前になっている「学校へ通う」ということについて改めて考えさせられることがありました。
それは、17歳にしてノーベル平和賞を受賞した 「マララ・ユスフザイさん」の言葉です。
一部を紹介しておきましょう。
親愛なる少年少女のみなさん、私たちはすべての子どもたちの明るい未来のために、学校と教育を求めます。私たちは、「平和」と「すべての人に教育を」という目的地に到達するための旅を続けます。誰にも私たちを止めることはできません。
今日、私は自分の声をあげているわけではなく、6600万人の女の子の声を代弁しているのです。
私たちは今もなお何百万人もの人たちが貧困、不当な扱い、そして無学に苦しめられていることを忘れてはいけません。何百万人もの子どもたちが学校に行っていないことを忘れてはいけません。少女たち、少年たちが明るい、平和な未来を待ち望んでいることを忘れてはいけません。
1人の子ども、1人の教師、1冊の本、そして1本のペン、それで世界を変えられます。教育こそがただ一つの解決策です。エデュケーション・ファースト(教育を第一に)。ありがとうございました。
この言葉の背景には、私たちの知らない現実があります。
それは、お父さんの 「ジアウディン・ユスフザイさん」の言葉に象徴されています。
女の子は5歳になると、就学すべき年齢なのに、家にいなければいけません。彼女の兄弟達は学校に行けるのにです。彼女が12歳になるまでは、どうにか良い生活を送ります。楽しいことができます。道端で友達と一緒に遊んだり、一人で外を歩いたりできるのです。蝶々みたいに自由です。ところが13歳になると、女性は男性のつきそいなしに出かけることを禁じられます。 家の中に閉じ込められるのです。もはや自由を謳歌できる一個人ではなくなります。そして物静かで慎ましく、とても従順であることを求められるのです。
学校へ通うことが、日本をはじめ、多くの先進国では当たり前のことかもしれませんが、貧しい国々や家父長社会、部族社会では就学とは女の子にとって一大事なのです。
学校に通えるということは、自分のアイデンティティや名前を認めてもらえること、学校に通えるということは、将来のために 自分の可能性を探せる夢や希望をかなえる場所に足を踏み入れることなのですが、それが許されない社会に生きている人が数多く存在するのです。
学校へ通うことは、世界全体を眺めると、けっして当たり前のことではないということを考えるならば、「教育を受ける権利」だけに甘えていることはできないのです。学校通うこと以上に真剣に学ぶことをもう一度しっかりと見つめ直して欲しいと願うのです。
そして、社会のために真面目にきちんとものごとを見つめられる人、考えられる人になって欲しい思います。