2010年5月7日
聴くということ~あるコンサートで感じたこと~
近くの席にいた女の子がお母さんの耳元でつぶやいた。
「お姉ちゃんの音が聴こえない・・・」お母さんを見上げる表情は寂しげであり、真剣な訴えでした。そのとき、ステージ上ではアップテンポの曲が響き、会場には手拍子が響いていました。ステージ上でSolo演奏しているこの少女のお姉さんであろう女の子の音は確かに手拍子にかき消されていました。
最近の演奏会で感じることの一つが、この手拍子です。
どんな演奏会でも、いいコンサートは演奏者と聴衆によって創り上げられます。奏者は聴かせどころをつくり、聴衆はそれを敏感に感じる。まさに両者の感性のコラボレーションといってもよいのかもしれません。
ここは静かに聴きいってほしいという箇所はどんな曲にだってあるものです。最近、リズムとテンポに乗って、すぐに手拍子に入ってしまう場面がとても増えたように感じます。テンポとビートを感じた瞬間に手拍子が始まる。手拍子をしている人には音楽が届いているのだろうかと首をかしげることも少なくありません。というよりも、Soloや静かで美しい場面に、手拍子が自然に収まり、拍手すら短時間で終えようとする姿に出会うと、何となくホッとします。
その原因をとやかく言うつもりはありません。でも、演奏だけではなく、見せる要素や、パフォーマンスにあふれたステージが多くなり、演奏者サイドの意識の変化もあって、演奏者自身が「のり」を要求する場面もあるのは確かである。だから、曲に浸っている一つの表現として手拍子で応えるのも、誠意の表れなのかもしれないのです。
でも、冒頭の女の子のように、「聴く」ことを奪われてしまうことに首をかしげざるを得ません。「聴く」ということや「音楽」を見つめ直す姿勢が必要なのかもしれないと感じるのは、私だけなのでしょうか。