『聴く』ということ

授業,学習・学びに

 人は、母体の中で十月十日(とつきとうか)を経て世に生まれ出ます。その間、母親のお腹の中で最初に経験する活動は「聴く」(「受け取る」)という活動だったのだと思います。しかもそこで聴いていたのは、周波数で伝わる音や音声以上に、自分の誕生を喜び、それを待ち望む周りの愛情だったに違いありません。
 そう考えると、「聴く」ことは、我々が思っている以上に神聖なものであるような気がしてなりません。
 きれいで流れるような話は素晴らしいですし、自然と惹きつけられます。しかし、片ことで途切れ途切れの言葉であっても、精一杯語ろうとする言葉は聴く者に感動を与えます。私たちには、それを受けとめる力が備わっているはずなのです。
だからこそ、

○ 仲間や周りの大人が話す内容を最後までしっかりと「聴き切る」姿勢
○ 話し手の口調や抑揚から真の思いを受け取ろうとする姿勢

が大切だと思うのです。
 しかも、それが教室や集団の中で生活する全ての人の権利であることを思うと、
静かに聴くということの大切さと、話に耳を傾けなかったり、途中で話をさえぎったり、茶化したりすることのおろかさに気づきます。

 「学ぶことにおいて大切なのは、相手の言葉を聴く謙虚さである。」という言葉が思い出されます。