2008年10月14日
『雨だれ(=点滴)石を穿(うが)つ』
という言葉を知っているでしょうか。
「穿つ」というのは、穴をあける・つきぬく という意味です。
つまり、「一滴ではなんの力もないように見える雨だれでも、何万回・何億回と同じ所に落ちていたならば、長い間には、自然の石にさえ穴をあけてしまう。」 つまり
「小さなことでも、長い間続けていくことで、最後には大きな形になっていく」という意味です。
ここで言う『雨だれ』は、もちろん「努力」であり「真面目な生き方」を表しているのは、明らかです。
皆さんが迎える37日間の夏休みはもちろん、これからの生活の中で、自分に必要な自分だけの「雨だれ」を大切にして下さい。
それは必ず、形のある成果となって表れて来るはずです。
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ここで、話を閉じれば、夏休み中もいろいろなことに誠実に着実に努力していきましょう。というメッセージとして終わるのでしょうが、今日は、もう少し話を続けたいと思います。
『雨だれ(=点滴)石を穿(うが)つ』 が、「小さなことでも、長い間続けていくことで、最後には大きな形になっていく」という意味を持っているのならば、その雨だれは、決していいことばかりではないような気がしてなりません。
もしも、「雨だれ」が「だらしない気ままな生活」だったならばどうでしょう。それは自分自身の心を穿つものになりかねません。
もしも、「雨だれ」が「小さな万引き」だったらどうでしょう。将来に人生を大きく穿つものになりかねません。
そして、小さな暴力」だったら、・・・・・・
「相手を傷つける心ない何気ない言葉やいじめ」だったらどうでしょう。
それらは、知らないうちに今度は「人の心を」「仲間」を穿つものになってしまうに違いないのです。それは、石でなく、間違いなく「人」であるのです。
そう考えると、雨だれの「強さ」と「怖さ」を感じざるを得ません。