焼野の雉(きぎす)、夜の鶴(入学式後の保護者へのことばより)

教育

 保護者のみなさん、あらためて御入学おめでとうございます。
中学校3年間、子どもたちは大きく成長します。
体も大きくなり、周りの「社会」や「大人たち」の姿をみる目を着実に肥えていきます。さらに、自らの身の丈を知ることから、自分の生き方に向き合い、時には迷い、苦しみます。しかし、その一方で、いろいろな感動と出逢い、精神的にも大きく成長していくのは間違いありません。知らざるを得ない身の丈の存在も、しっかりと自分自身の中で受け入れ、子どもから大人になっていくのでしょう。
 さて今日はとても貴重な日であります。それは、こうして学年の全ての保護者の皆様にお話をさせていただく機会は、予想以上に少ないのが現状です。
 ですから、今日はもう少し話しをさせていただきます。
 先ほど、式辞にもありましたように、私たちは力を合わせて進むことが運命づけられています。そうすれば必ず、人として立派に育っていくに違いありません。
ですから、次の2点だけは絶対に守っていただきたい。

(1)『絶対に子を捨てないこと』
「あんたなんか産まなければよかった。」「おらん方がいい。」とは絶対に口にしないでください。この言葉が堂々と口にされた時点で、私たちの関係は崩れていくのは間違いありません。
 
(2)『先生の悪口を言わないこと』
  「あんたの先生はアカン。」「学校はアカン。」とは生徒の前で言わないでください。
私たちは絶対に生徒の前で、保護者の皆さんの批判をしません。
 教師としても精一杯努力します。それでも、時には失敗もあるでしょうし、勇み足もあるに違いありません。しかし、思いは常に、先ほどの式辞で述べたところにあります。 力を合わせましょう。すべてはこの子たちのために・・・・

 昔から、親が子を思う情の深さのたとえとして「焼野の雉(きぎす)、夜の鶴」と言われます。「雉(きじ)は巣を営んでいる野を焼かれると、我が身を忘れて巣へ戻り、鶴は霜の降る寒い夜、自分の翼で子を覆うところから、親が子を思う情の切なることの例えに使われます。
 中学校生活というよりも、校外生活や現在のネット社会の中にも、誘惑や恐怖は潜んでいます。子どもたちを守るために、親として闘う覚悟は必要です。親である以上、我が子のしたことの始末をつけていく使命もあるのです。
 私は、学校運営上の判断場面で、次の3点を判断の基軸に置きたいと考えます。
   (1)その子にとってよいことか
   (2)この子たちにとってよいことか
   (3)教育的か
 です。この3つの視点が相容れない場面も少なくないだけに、皆さんのご協力なくしては語れません。60名の職員全員で精一杯取り組みます。
 ご協力のほど、どうかよろしくお願いいたします。