人生の句読点

雑感

 人生の中で、句読点が打ちたいと思うときが少なからずある。
自分自身が打たなければならないときがある。自分自身が句点なのか、読点なのかを判断することが求められる時、そのタイミングを逃してしまったら、文章が意味の分からないものになってしまうことも多い。ちょうど、3年生諸君は、自らの力で、まさに今句読点を打とうとしているのだと思う。
 しかし、ここで考えてみよう。句点にしても、読点にしても、それまでの文章にまとまりがない以上、何の意味も持たないのではないだろうかと…。そのまとまりとは何なのだろうか、その時その時を真剣に真面目に精一杯生きていると言うことなのだと思う。
君たちは、義務教育を終え、一歩広く大きな世界へ進んでいくわけだが、その時、自分自身では打ちたくても、打てない句読点があることに気づくことだろう。