ふるさとの香り その1

思い

 昨年暮れのある日、松原公園を訪れる機会があった。身近にありながら、最近は足を運ぶことも少なくなったことを詫びながら、ふらふらとのんびり静かな時間を過ごさせてもらった。冬場の松原は、夏のにぎやかさと対照的で、静かな中に波の音が耳に届いてくる。そんな波の音を、幼い頃耳にしたものと比べてみようと記憶をたぐり寄せていると、昔の松原公園が思い出されてきた。
 小学校の低学年の頃までだろうか、父や叔父に毎週のようにつれてきてもらった。ここには楽しみがいっぱいあった。
 まずは、着いたらすぐに走っていったのが、子供用のバッテリー自動車のところだった。アクセルらしきものを力一杯踏み込んでもさほどスピードに変化は出なかったし、ハンドルも左右60°くらいしか切れなかった。それでも自分の思いで車が方向を変えてくれることが嬉しくて、かなりの時間をここで過ごした。
 次は当時の私が一番大事にしていた「水族館」だった。大事という言葉は変なのだが、子ども心に神聖な場所なんだと感じていた。今風の水族館は、とても明るく造られているが、ここは違った。薄暗くて、壁面に照明の入った小さな水槽がいくつかあって、まるで神様の祀られている祠(ほこら)に漂う灯りのようだった。そんな水槽の中の隅っこに隠れている魚や海の生物を眺めることはもちろん楽しかったが、それ以上に、私を引きつけたのは中央にある大きな水槽だった。中には、ウミガメがゆったりと泳いでいた。それほど深くはないため、ウミガメの背中が水面に出たり引っ込んだり、大きさがどれだけだったのは定かではないが、当時の私にとっては、大きくてまさに海の主であり、神聖な生き物だった。縁に近づいてきたウミガメの甲羅に恐る恐る触ったときの重くて堅い、といってけっして無生物ではない感触は、そのときのドキドキ感と共に、今でも記憶に残っている。そして、檻が二つあった。一つは日本猿の檻。餌を与えてはいけないと言われても、檻の周りに落ちている野菜くずを拾って、猿の様子を窺いながら手を伸ばして投げ入れたものだった。もう一つは檻というよりも鳥小屋と言った方がいいのかもしれない。アヒルやガチョウが水浴びする場所や、白鳥(当時は白くて首が長い鳥は全て白鳥と認識していた)が飛べるくらいの相当に大きなスペースだった。
 こんな松原公園での時間は、いつもあっという間に過ぎていった
 当時は、ゲームがあるわけではなく、今のように車で手軽に出かけることもなかっただけに、松原公園へ連れて行ってもらうのは、相当に大きなプレゼントだった。派手な乗り物やアトラクションがあったわけではないのに、うきうきした時間だったのは何故だったのだろう。今思えば、そこに待っていたのが、命あるものとふれあう体験だったからなのだろう。
 あれから随分と様変わりした松原公園だが、波の音と海の香りは今も変わらない。
自分の記憶の中にある、そんな音や香りが思い出されたとき、自分がそれに包まれて育ったことを幸せに感じる。