2014年9月

指揮者に

合唱

 合唱コンクールに向けて熱が帯び、指揮者と伴奏者が悩む時期になります。指揮者の責任は何なのか?・・・人によっていろいろな考えがあることと思いますが、私の思いを4点記しておきたいと思います。

その1
音楽の邪魔をしない 少しでもプラスになること
学級の仲間のつくろうとする合唱、歌おうとする思いを邪魔することはあってはなりません。(そんなことをわざとするはずはありませんが)たとえば3拍子の曲を4拍子にとってしまったり、みんなの考えるテンポと違和感があったりしては、歌いにくいのは事実です。合唱はやがて指揮がなくても、お互いに探りながらも最後まで歌えるようになります。そのときに、自信をもって息をそろえる、思いをそろえる、表現を整えるためにプラスになることが求められるのです。

その2
自分自身も歌うこと
できれば、全パートの欲しい部分
歌うことで、みんなとの一体感は大きくなります。
歌うことで、ブレスの大切さと位置が分かります。
歌うことで、歌詞の言葉がはっきりしてきます。

その3
曲の中にある多様な二つの対比を示すこと
一つの曲の中にも、いろいろな場面があります。その対比は大切な要素です。
それを感じること、示すこと、言葉で伝えることは大切です。
たとえば 
○テンポが速いと遅い ○大きいと小さい ○激しいと穏やか
○明るいと暗い ○嬉しいと哀しい ○固いと柔らかい ○陰と陽
○太陽と月 ○熱いと穏やか ○深いと浅い ○現在と過去
○現実と空想 ○絶望と希望 ○なめらかさと堅さ ○高揚と冷静

その4
メトロノームではない価値を示すこと
正確にテンポをとるだけならば、メトロノームに分があるのかもしれません。
だからこそ、人でしかできないものを大切にしてほしいと思うのです。
メトロノームに表情はありません。(表情には、「その3」の二つの対比の全てが含まれます。)メトロノームは声を出せません。そして、メトロノームには感情はありません。 だからこそ、人でしか指揮はできないということなのでしょう。
指揮をする以上、人でなければならないのだと思います。

歌詞への思い

合唱

 期末テストも終了しても学校全体のベクトルが徐々に「合唱コンクール」に向かっています。
 歌詞がなく、メロディーだけで心を熱くする曲もあります。メロディーを捉えて一人ひとりが自分自身のイメージを膨らませることができるのは音楽の大きな魅力なのだとも思います。
 しかし、合唱曲には「歌詞」があり、それも大きな要素です。合唱に意味を込める、魂を吹き込む、思いをそろえるという点では、歌詞をしっかりと捉えた合唱とそうでないものとの差はとてつもなく大きい気がします。
 それぞれの学級が最終ステップに近づいたとき、歌詞を咀嚼しているかどうかは明確に現れてきます。
 特に、とても重い歌を選曲している学級にとっては、そんな真剣で真面目な空気をいかに生みだせるかが重要なのだと思います。一生の思い出に残る空気を是非体験させてやってください。
 さあ、学級全員で新たな井戸を掘り始めました。真顔でひたむきに歌に浸りきる子供たちの姿を楽しみにしています。

平和で民主的な国家及び社会の形成者~高齢化と少子化の中で~

雑感

 先日の「敬老の日」の朝刊に、総務省からの現在の高齢者の人口推計が公表されていました。65歳以上の高齢者人口が3296万人(総人口の25・9%)、75歳以上が1590万人(同12・5%)となり、いずれも過去最高、「団塊の世代」の1949年生まれが65歳になったのが一因で、4人に1人が高齢者、8人に1人が75歳以上となるといいます。
 一方で、出生率は伸びずに少子化が着実に進行していることを考えると、教育基本法の第一条 「教育は、人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として必要な資質を備えた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。」の国家及び社会の安定のためには、国民全員が真剣に向き合わなければならない問題であるのは間違いありません。

まぶしい音に

雑感

 中学生の音はどうしてこんなにまぶしいのかと思う。けっして音程が完璧な訳でもなく、音色がプロ並みであるわけでもない。ミスも多く、音楽的にもまだまだ伸びしろも大きい。でも輝いている。輝きというのは、メンタルな面を感じるからなのだろうか。その時々の自分の中で精一杯の音を出そうとする思いが伝わってくるからなのかもしれない。
 昨日の発表会、そんなまぶしい音に向き合う時間をプレゼントしてくださり、中学生を指揮する最後の機会をつくってくださった吹奏楽部顧問の先生方、多方面から応援してくださった皆さんに心から感謝いたします。

 「高校へいっても続けるんだよ」という言葉に、しっかりとうなずきを返した3年生の生徒たち。
数年後には、市内の高校吹奏楽も大躍進することを確信させる子供たちの姿でした。