一人称複数の価値 (授業参観週間を終えて)

授業,学習・学びに

 教室へ参観に訪れたときに、まず注目するのは教室後部の様子と生徒の姿勢です。(普段の学級担任の経営が現れている一つです。)
 次に、黒板に眼がいきます。課題は何だろう?・・・・やはり、丁寧な筆圧を感じる見やすい字で、行動目標(「~しよう」につながる言葉)として書かれていると分かりやすいと感じます。もちろんしっかりした黄色い長方形で囲まれていることは不可欠です。そして、板書の内容です。思いついたことを適当に黒板に書いているのでは板書とは言えません。左半分には・・、右には・・、そしてここは後のためにスペースをとって・・・・・と考えるのが板書でしょう。それがうまくいくということは、1時間の学習内容や指導ポイントが組み立てられているという証でもあります。(逆は必ずしも真ならずですが・・・)とにかく計画的な板書かどうか?
 その間、いろんな声が届いてきます。きちんとした生徒の発言を期待するのですが、そんな場面に出会うことが少ないのはとても残念です。(・・・これから、ほどよい緊張感の中で、学びあう姿がさらに形になっていることを楽しみにしています。教師の存在しか感じられない静かなだけの授業は寂しいものです。
残念なのは、冗漫な授業です。1時間の中に笑いがあるのはよいことでしょう。ただし、1時間が常に漫才みたいでは大変です。(その場合のツッコミは教師、ボケが生徒になることが多いですが・・・)生徒は楽しかったと感じるのかもしれません。でも、迷惑なのはその学級に入っている他の教科担任、そして、じっくりと学びたいと考えている生徒なのでしょう。
さりげなく数名の生徒のノートを眺めます。・・・指導が入っているノートに出逢うと嬉しくなります。
言葉は大切です。・・・一人称複数で語りかけること、(「私たちが今考えようとしているのは・・・」「私たちが解決しようしているのは・・」等)は、授業観をワンランクアップさせる大切な要素です。実践してください。