2014年3月

再度 時は戻ってこない 平成25年度修了式に

子どもたちへ

卒業したあの3年生とともに歌った校歌はもう二度と聞くことができません。
 あのときの学級の仲間や部活の仲間との時間は、もう二度と戻っては来ません。

   懐かしい友の声 ふとよみがえる
    意味もないいさかいに 泣いたあの時
    心通った嬉しさに 抱き合った日よ
    みんな過ぎたけれど 思い出強くだいて
    勇気を翼に込めて 希望の風に乗り
   この広い大空に 夢を託して

これは、卒業生の歌う『旅立ちの日に』の歌詞の一節です。
 この歌詞がすきです。
 2年生諸君、一年後、この歌詞の内容が自らの中学校生活と重なることでしょう。
次年度の卒業生の その歌を楽しみにしています。


それでも、人は井戸を掘る 平成25年度 卒業式式辞より

思い

 私たちが、みなさんに伝えなければならないものはたくさんあります。それらをどれだけ伝えられたでしょう。
○『人は一人では生きていけない。』ということを体験できたでしょうか。
○『仲間っていいものだ』『人って捨てたもんじゃない』と感じてくれたでしょうか。
○『何を手に入れたかということ以上に、「そのために何をしてきたか」が大切なのだ』と いうことを分かってもらえたでしょうか。

 みなさんに直接話すのも最後となります。
 義務教育の修了にあたり、そして、皆さんの新たな門出に、私の大好きな『井戸を掘ったら、まずは泥水。』という言葉を再度伝えておきたいと思います。

 これまでの学校生活の中で、皆さんは多くの小さな井戸を掘ってきました。その体験を通して「最初からきれいな水が手に入れることなどできないのだということ」を学んだことでしょう。これからみなさんが掘り始める井戸は、今までのものとは桁違いに大きく深い井戸なのだと思います。その泥水もまたこれまで以上のものに違いありません。
しかし、本当の苦しさは別のところにあります。本当の苦しさは、今掘っている井戸が必ずしも清らかな水につながっているとは限らないところにあるのです。
 ただはっきりしているのは、掘るのを止めてしまっては、それまでの努力が泡と散り、絶対に新鮮な水にたどり着かないということなのです。
 「それでも人は井戸を掘る」のです。それが人なのです。

 その姿を見守り、支えてくれる人がいます。それが家族であり、仲間なのだということを忘れないでください。

 今、「自分だけのシンフォニー」は、次の楽章に進もうとしています。
 井戸を掘り続け、「震災からの復興」が使命である社会に踏み出してくれることを願い、式辞といたします。


灯り

雑感

A1に 2011/3/11 と入力後、隣のセルに
=DATEDIF(A1,TODAY(),”Y”)&”年”&DATEDIF(A1,TODAY(),”YM”)&”ヶ月
“&DATEDIF(A1,TODAY(),”MD”)&”日” と関数を入力した瞬間に、
2年11ヶ月27日 と表示される。日数計算は、余りにも瞬時であり、冷たくもある。

 死者 18,958名、行方不明 2,655名 全壊から一部破損までを含めると住家の被害は 1,166,198棟にも及ぶ。
 その一つ一つの家庭には夕方になると灯りが点り、人としての家族としての生活があったことを考えると、消えた灯りの多さに、愕然とせざるを得ない。
 この数日間、マスメディアは現状を伝え、未だに復興の手がかりすら見えないことに対する非難と、ぶつけようのない怒りを声高に主張している。

 いろいろな声はあるだろう。ただ、今なお、不安な日々を過ごしている多くの人々が存在しているという現実から眼を背けることはできない。
 その現実を伝えていくことも、我々の使命なのだと再確認していきたい。

 小学校卒業からの期間が復興の歴史と重なっていく今年度の卒業生にとって、自らの心の片隅に持ち続けてもらいたい灯りへの希望である。


「笑い」という文化

雑感

 土曜日、ある結婚式に列席させていただきました。
とてもリラックスした雰囲気の披露宴で、新郎と新婦が同じ職場ということもあって、同僚や友人などから温かな御祝いのメッセージのシャワーで、参列した者全員が心地よい時間を過ごすことができました。
 ただ、その中で、一つだけ違和感を抱くことがありました。それは、新郎や新婦の言葉の中には当然言葉を詰まらせたり、声が震えたりという場面は少なからずあるのですが、その度に起こる友人たちの笑いです。アルコールが入っていたこともあっただろうし、親しい関係なのはあるとしても、真剣に話そうとして心震わせる場面に「笑い」で応えるというのは・・・。
 そんな姿を見て、「笑いの文化」の変化を感じました。テレビ番組の中には、芸人たちの軽いトークやパフォーマンスがあふれ、効果音としての「笑い声」が掛け合いの間々に飛び込んできます。考えてみれば、私たちは少なからず常に笑い声のBGMにさらされているのかもしれません。幼い頃からそんな文化の中で育ってきた若者たちにとって、「笑い」は呼吸するほど日常的なことになっているようにも思えます。
 だからこそ、「笑い」のTPOの大切さを教えていかなければならないのでしょう。
 少なくとも、麻痺することだけはないようにしたいものです。



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