2014年1月

文武両道の基本とは

雑感

 大学ラグビーで帝京大学が早稲田大学を破って5連覇を達成しました。そんな快挙を報じる翌朝の新聞の片隅に「文武両道 厳しい『決まり』」と題する野村周平記者のコラムが掲載されていました。
『早大4年の黒木は今季、新チーム発足時から夏合宿まで試合出場を一切禁じられていた。理由は、単位が足りなかったから。ラグビー部は後藤監督が就任した昨季、「申請した単位のうち7割を取得できなかった部員は練習試合にも出さない」と決めた。黒木は3年時、その基準に満たなかった。
 20歳以下日本代表の黒木はチームにとって不可欠な存在。でも、後藤監督は「決まりは決まり」と一番下のEチームに黒木を落とした。早大にはこれまで留年生や卒業できない部員がいた。学校や親を納得させる意味でも、文武両道の旗印を掲げる意味でも、譲れない決断だった。
 面白いのは、黒木が腐らず、学ぼうとしたことだ。Eチームにはなかなか指導者の目が届かない。だが、4年の仲間は上を目指し努力している。「下のやつらがいて、オレがいる、ときれいごとじゃなく実感できた。」その感慨は、この日のプレーと無縁ではなかった。「最後にふさわしい試合ができたと思います」(野村周平)』

 学校という場で、スポーツを目指す子どもたちにとって、それを指導していく私たちにとって、不可欠なものを感じさせられます。


感激と感動と

雑感

 この数日間、スポーツ界ではいろいろな大会の決勝が行われ、真剣なプレーの数々がライブやニュースの映像にあふれていました。中でも圧巻は昨日の高校サッカーの決勝であり、注目を集めたのは日体大の「集団行動」だったのかもしれませんが、もったいないくらいの数多くの感動的なシーンが残り、大学生であろうと高校生であろうと集団やチームの中で培われていく力の大きさ、それを生み出す指導者の力、潜在的な力を随所に感じることができました。
 そして、思うのです。「集団」を意識する職業に就いていることの厳しさと幸せを・・・。集団を育てる、集団を意識した「人」を育てる幸せを。そして何よりも「集団が育っていく過程」を感じることのできる場に居合わせる幸せを。
ある監督が語った言葉が印象的でした。「厳しい練習である。しかし、約束しよう。必ず感動と感激を提供することを。」
 果たして自分に、私たちに、そう言いきる力があるのだろうか。その思いは、時に失敗につながるリスクは抱えていることは分かっていても、私たちに不可欠な言葉であるに違いありません。
 新しい年、「全ての生徒に感激と感動を」この言葉を掲げたい。


有終の美

子どもたちへ

 平成26年、西暦2014年が明けました。今日は「2学期の後半戦」のスタート日です。3年生は、この粟野中学校で過ごすのもあと2ヶ月少々、1・2年生も2ヶ月半ほどで次の学年になります。このメンバーで迎える1度きりしかない新しい年の意味を感じながら、今日はみなさんに「有終の美を飾る」という言葉を贈りたいと思います。
「有終の美を飾る」とは「終わりをしっかりしめくくるということ」「立派な成果をあげること」という意味だと言われますが、もっと大切な意味があるように思います。
 『有終』の二文字には、物事を行う上で、初めはだれでも計画を立てて一生懸命にやるが、それを最後までやり遂げる者は少ない。最後までやり遂げることは難しもの。だからこそ、「最後までやりきり、悔いを残さないことが大切なのだ」という意味が込められています。ですから、「有終の美」の「美」とは、物事を最後までやり遂げること、やりきることの美しさなのです。

 つまり、有終の美を飾るためには、最後だけ頑張るのではなく、日ごろからの努力を大切にし、最後にやりきる姿勢や姿が求められるのです。けっして、結末さえ立派にできていれば、途中のことは問題にしないという意味ではないのです。

 さあ、皆さんにとって有終の美を飾るとは、具体的にどんなことでしょうか?
  それぞれに、いろいろなとらえ方があることと思います。
・勉強のやりきること、そして、それぞれの学年で学習することを確実に身に付けて次の学年に進級することでもあります。
・自分自身を見つめきること、そして、ひとまわり成長した自分を確かめることなのかもしれません。
・ひょっとしたら、部活動の苦しい練習をやりきることなのかもしれません。
 
しかし、「有終の美を飾る」ために、なによりも必要なこと、最も大切なこと、それは、「この3ヶ月間、真剣に精一杯生きる自分を貫き通すということ」なのだと思うのです。

 さあ、今日から始まります。
 皆さん一人一人が有終の美を飾れることを願っています。



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