隠れたカリキュラム

雑感

 先日から、パブリックマナー、パブリックルールという言葉を度々口にしています。公共の場で見知らぬ人同士が気持ちよく過ごせるために、必要なマナーであり、公共の場を使うときに必要なルールです。それらは、通常「暗黙の了解」としてとらえられ、「隠れたカリキュラム」として存在します。ただ、「暗黙の了解」は、大きな課題を抱えています。それは、「私は了解しない。」「私は逆だと思う。」と主張する者が登場したとき、全体に大きな歪みが生じてくるということです。その歪みは、やがて「どうして私だけが・・・」といった不公平感を生み、どんどん大きくなっていきます。
 法によって縛ることのできる部分もあるのでしょうが、大抵の場合はそうではありません。子どもたち以上に親や周りの大人たちに向きの異なるベクトルを感じるのも確かです。
 方法は唯一「相手の主張をよく聴くこと」そして「自分の思いをよく伝えること」なのでしょうか?根気よく、根気よく・・・