2010年3月

小学校での育ちに……

教育

 小学校の卒業式に列席させていただきました。数校が同日となったため2校しか参加できなかったのが残念ですが。その中で感じたことはたくさんあります。中でも、感動したことが3つあります。
 1つ目は、卒業生の返事のすばらしさです。そこには中学生とは違った響きがありました。6年間というよりも12年間のいろんなものを乗せた返事がつながっていく空間を共有できて、とても幸せな時間でした。
 2つ目は、卒業生の態度です。その背中には、最上級生としての自信とプライドが感じられました。一人ひとりの児童の横顔はたくましく自信に満ちていて、この6年間に体験し、学んできたことの大きさを感じました。そして、その子たちのほとんどが、既に自我に目覚め、思春期を迎えているのだと思うと、中学校の責任の重さを感じました。
 3つ目は、在校生の姿です。低学年の児童が1時間30分の間、手を膝に置き、静かに座っている様は、それだけでも胸を打ちました。そして、そんな子どもたちを育ててこられた学校の力を感じました。


人生の句読点

雑感

 人生の中で、句読点が打ちたいと思うときが少なからずある。
自分自身が打たなければならないときがある。自分自身が句点なのか、読点なのかを判断することが求められる時、そのタイミングを逃してしまったら、文章が意味の分からないものになってしまうことも多い。ちょうど、3年生諸君は、自らの力で、まさに今句読点を打とうとしているのだと思う。
 しかし、ここで考えてみよう。句点にしても、読点にしても、それまでの文章にまとまりがない以上、何の意味も持たないのではないだろうかと…。そのまとまりとは何なのだろうか、その時その時を真剣に真面目に精一杯生きていると言うことなのだと思う。
君たちは、義務教育を終え、一歩広く大きな世界へ進んでいくわけだが、その時、自分自身では打ちたくても、打てない句読点があることに気づくことだろう。


生きざま

部活動

 何かに気づいても、みて見ぬふりをすれば何ごともなかったかのようにスムーズにものごとは進んでいく。その時何か行動したいと思う。
それは、ドロドロした決して美しいとは言えない生き方なのだと思う。
全てが解決し、周囲から賞賛を受ける可能性など決してないであろうことがらに損得なしに向かっていく姿が、その人の生きざまと呼ばれるものなのだろう。
 今、部活動の問題で議論の場が持たれている。
いい加減な部活動をやろうという顧問はいない。生き生きとした子どもたちの姿と自らの家庭生活の狭間で苦悩することも決して少なくないはずだ。でも、部活動を本校の中核に据えたいと考える。それが子どもたちの夢を求める輝きに直結しているから。
 自分の都合よいときに(そのときだけ)好きなこと(無責任なこと)を口にすることはたやすくてある意味楽しいことであるに違いない。ましてやその競技をある程度体験したことのある者ならばなおさらであろう。言いたいことや不満はかなりのものがあることと推察できる。全てを受け入れることが部全体や部員にとってプラスのことばかりとは限らない。
大切なのは、共に意識をできるだけ高いレベルで共有すること。


「どこから来て」「どこへ行くのか」平成21年度 卒業式 式辞より

子どもたちへ

 「どこから来て」「どこへ行くのか」を見つめ、その次に「今」を考えるのです。今の状態と現実の中で、「何をするのか」「何ができるのか」「何をすべきなのか」を考えてください。
 その時の雰囲気と気分に流され、その場しのぎの行動をとることはたやすいことです。でも、それではあまりにもさみしいと思うのです。
みなさんには絶対できます。なぜならば、みなさんが義務教育の中で学び、身に付けてきたものは、その過去を「知る力」であり、未来を「考える力」であり、「今の自分」に問いかける「感性」だったに違いないのですから。

ふるさと、社会、そして世界全体が大きく変化する時を迎えているのは間違いありません。その中にあって、はっきりしているのは、二十・三十年後には、全てがみなさんの力によって支えられているということです。
自分だけのシンフォニーは、次の楽章に進もうとしています。
『よりよき市民、よりよき社会人、よりよき世界人』を目指して、さらに一歩踏み出してくれることを願い、式辞といたします。


旅立ちに……

学校

 これまで、何回の卒業式を経験しただろう。卒業担任として参加したこともあれば、学年主任として見送ったこともあります。
 義務教育の修了ということを思うとき、全ての子に思いを十分に伝え切れただろうかと自らに問いかけざるを得ません。卒業式前夜は、生徒と過ごした日々やいろんなできごとを思い出しながら、「自分はよい教師だったか。よい担任だったか。」と自問自答を繰り返し、何時までも眠れません。
 決して器用ではなかったのかもしれない。でも、どの子もエネルギッシュで「心」や「思い」を前面に出すことのできる素晴らしい3年生でした。
 この3年生の子どもたちと出会えて本当によかったと思います。
 生活の場は離れてしまいますが、これからもしっかり見守っていきたいと思います。今年の卒業生答辞の中には、歌が2曲組み入れられています。
 「旅立ちの日に」と「YELL」。この2曲のメッセージソングの歌詞には、どちらにも、「友」の存在の大きさと、夢を持ち未来めざして進んでいこうという決意と励ましが綴られています。
 けっして上手くなくてもいい、全員の「思い」を乗せた歌を楽しみにしています。


我々が築き上げてきたもの

学校

 この3年間、213名の君たちと共に我々が築き上げたものは一体何なのだろう?
『新生松陵』を合い言葉に、お互いに励まし合いながら、我が母校松陵の姿を一つひとつ確かめ合い、反省と批判を繰り返してきた。時には耐え、時には闘うことを呼びかけてきた、3年間の生活で、我々が築き上げたものはいったい何なのだろう?そして、後輩たちに残していけるものはいったい何なのだろう? 挨拶の素晴らしさなのだろうか? 清掃の頑張りなのだろうか? 部活動での活躍だったのだろうか?
 我々が築き上げてきたもの、それは、自分たちの生活を真剣に見つめ、素直に振り返る姿勢であり、そのうえで頑張り抜くという『生き方』そのものであったはずである。
 どんなことでも、一つのものを築き上げるには大変な苦労と時間が必要であり、それを維持していくためには、さらに大変に努力が必要となる。しかし、逆にそれを崩すのは、たやすいことであり、一瞬でこと足りる。
 今こそ、踏ん張りを見せるときである。これまで築いてきたものを支えるために。
母校松陵が益々発展し、その中でいつまでも語り継がれる存在でありたいものである。
 学級を眺めてみると、3年生のこの時期には各学級のカラーがかなりはっきりしてくる。
と同時に、学級担任の個性が学級全体ににじみでてくる。3年生の6クラスを眺めてみるとどの学級も、「さすがだな……」と感心させられることが多い。受験という大きなプレッシャーを感じながらも、それを柔らかく伝え、力を引きだそうとする先生もあれば、ストレートにぶつけてグイグイ引っ張っていく先生もある。最後まで希望を捨てるなといろんな形で伝えようとする先生もあれば、一人の生徒を生かすために労を惜しまない先生や、一人の問題を学級全体の問題として常に意識づける先生もいる。それぞれが大きな器を感じさせる。
 君達は幸せ者だとつくづく感じる。…………君たちのために涙を流してくれる大人が少なくとも2人いる。それは「親」と「担任」であるはずだ。
 だからこそ頑張れと言いたい!



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